「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があります。
罪を犯した人が裁かれ、罰を全うした後に
その人を依然として憎むのはやめなさい
といった感じの意味だと理解していましたが、
最近もっとわかりやすい例を見つけました。
それが最近流行の?ループモノにおける(罪深い)事象の消失です。
例えば、主人公Aは、大切な人BをCに殺される。
↓↓↓
視聴者/読者と視点を同じくするAは、
何らかの要因でBが殺される前にタイムリープし、その殺害を阻止する。
この時、Cは罪人でしょうか?まさか、そんなわけありませんよね。
修正された世界線では、CはBを殺していないのですから。
しかし、そのストーリーを俯瞰する視聴者/読者目線では、
「Cは悪い奴だ」という認識が
依然として残っているのではないでしょうか?
これが、人の心情が陥りやすい落とし穴であり、
「罪を憎んで人を憎まず」が戒めているものなのでしょう。
アニメやドラマでは最初から悪役が決まっていたりしますが、
人は本来存在自身に善悪はなく(少なくとも判別不能)、
その者が取った行動によってのみ善悪のラベル可能になります。
もちろんフィクションのような都合の良いタイムリープなど
現実世界では滅多に起こるものではありませんが、
正しい解釈から乖離してしまっているのは
世界のせいではなく、私たちの心のせいです。
確かに不可逆な罪もありましょう。
(時間をかけさえすれば復元できるか、
時間で解決不可能なことなのか。
そこには決定的な差があると思っています。)
しかし、(真の意味での)償いがあり、罰を受けたのであれば、
その人は、修正された世界線のCであるかのように扱うべきなのです。
しかしながら、この言葉を最初に言った人は凄いですね・・・
そもそも「罪」という概念自体、
ヒトが勝手に作り出したものに過ぎないのですが、
その概念に対して更に上位の概念によって整理する、
ヒトがヒトであるというのは、
こういうところに根ざしているのでしょう。
スポンサーサイト
コメントの投稿