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ひいら

Author:ひいら
『カードヒーロー』を
愛してやまないプレイヤーの一人。
このゲームのルールの凄さ、
素晴らしさを世界中に広めること、
それが僕の生きる意味。

このブログは、
『カードヒーロー』をメインとしながら、
デジタルに限定しない様々な遊びや、
普段考えていることを
徒然なるままに記していくブログです。

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何故、手を抜いてはいけないのか

答えから書きます。
勝負事で手を抜いてはいけない、というのは
一種の価値観に過ぎません。
手を抜くこと自体はマナー違反でもなんでもないのです。
手を抜いたかどうかの証拠もないのに、
突然キレるようなサトルの方が問題です。
とはいえ手を抜いたことをおおっぴらに発言するのは
マナーとしてどうかと思いますが。

では、手を抜いても全く問題ないんだから、
バンバンやるってのは当然ない。
だって、そもそも勝負事に本気で臨むのは、
負けたくないから。それ以上でもそれ以下でもないはず。

手加減した事によって負ける可能性、それを受け入れられて、
かつ手加減することによるなんらかのメリットが存在するのなら
手加減はいくらでも存在します。

今回はそういった、手加減する理由をいくつか挙げてみます。

1.それが勝負事であると同時に見せ物でもある場合

言い換えれば観客がいる場合とも言えます。
もちろん本気同士でぶつかってくれることを願う観客もいますが、
そういう観客が全てでもありません。
たとえば、対戦者に圧倒的な力量差がある場合、
一方的な試合を見ていて果たして面白いでしょうか。

最近の言葉にフルボッコなるものがありますが、
あれはフルボッコを実行している側はまだしも
(開き直って笑ってしまうこともあるかもしれませんが)
やられた側、その勝負を見ている者はあまり良い気分ではありません。

そんな見るのもいたたまれないような勝負をするくらいなら、
手加減をしてでも”見られる試合”にする方が得策ではありませんか。

その点でプロのスポーツ選手などは
”魅せる”ことも仕事の一つなのです。
魅せることよりも純粋に勝つことだけを重視するのなら、
かの新庄選手の引退試合最後の打席にも文句を言わねばなりません。

この観点から言えば観客がいない条件であれば
手加減する理由はありませんが、
1対1の個人的な勝負であっても実は観客はいます。
対戦相手です。

もちろん、この場合は
見応え(プレイしごたえ)のある試合にすることが目的ですから、
手加減することで負けてしまっては元も子もありません。

2.勝負に何かがかかっている場合

勝負事にギャンブル要素(ここではお金のやりとりを指す)が
絡んではいけない理由でもあるかもしれません。

その勝負によって勝った嬉しさ、
負けた悔しさ以外のものが発生してしまうと、
その段階で純粋な勝負ではなくなってしまいます。

勝敗の結果で実益、実害を被る人がいる、
それだけで勝負にはいろんな足かせがつくことになります。

純粋な勝負であれば、至高目標は勝つこと。間違いありません。
しかしそこに他の価値観を持ち込んでしまうと、
この勝負に勝つことで発生する状況まで考慮しなくてはならず
”勝ち”という事象の絶対的が失われることになります。
「試合に勝って、(大きく見て)勝負に負けた」
が発生するのが非常にまずい。

麻雀で先輩相手に大勝ちしたら以降先輩との関係がまずくなった…
とかいう話はたまに聞きます。
お金はもちろん、社会的な意味のあるものは
真剣勝負の場に賭けてはいけません。

3.情報の外部性

これは1,2の条件から外れる場合であっても有効となる理由です。
情報の外部性とは、
情報とは、情報そのものを伝達しなくても
情報を用いた結果生じた行動を他者が観察することで
もととなる情報(の一部)を知ることがある、という性質を指します。

たとえば、料理屋の前に行列ができているのを見た時、
あなたは「このお店は美味しい(のかも)」という情報を得るはずです。
お店の前で並んでいる人は「この店美味しいよ」なんて
一言も喋っていないとしても、です。

お店の前に並んでいる人は
「この店は美味しい」という情報からもたらされた
”お店の前に並ぶ”という行動をすることで
その行列を見た人に遠回しにせよ「この店は美味しい」という
情報を与えている。

ここがポイントです。
これを勝負事に当てはめると、
ある勝負事について、あなたは最善手を知っているとして
今、最善手に沿った戦略を取ることで
この勝負には勝つことができるかもしれないが、
相手にその最善手を勘づかれる可能性がある。

ならば、今後も勝ち続けるためには
最初から最善手通りに打つのではなく、
相手の手に合わせて多少はぬるい手を織り交ぜた方が良い、
と考えることもできます。

あなたの前にいる達人が
実は正解を細切れに出し続けているとしたら?
ゲームの手筋には特許も著作権も存在しない以上、
そこにはこんな合理性があるかもしれないのです。
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コメント

下のコメントの返信だけどこっちに

プロレスはかなり特殊な競技(と言っていいものか)なので
プロレスについての視点はパス(それだけで記事が出来る)

魅せるためのプレイというのも大事というのは
色んな人が言ってる気がしますが
長嶋茂雄選手(だったはず)がわざと派手な守備をしていたと
某スポーツコラムで見た記憶があります
守備なら毎試合確実に見せ場が来るからだそうです

ただ、魅せるプレイって実力あってはじめて成立するもんですよね

「勝負事」が

「勝ち負けが付く遊び」
なのか?
「真剣勝負」
なのか?
で、
「手を抜く」
意味が変わります。

あと、
魅せるプレイほど手は抜けない!
真剣に魅せているから客が沸くんだ!!

コメントありがとうございます

>はやんぼさん
>魅せるプレイって実力あってはじめて成立するもんですよね

実力がなければ選択肢から選ぶことすらできないですからね。

>しんえもんさん
「勝ち負けがつく遊び」の中にも
形式上勝ちと負けに分かれるだけのものと、そうではないものが存在します。
前者はサイコロを振って止まったマスの指示に従うだけのすごろくがそうであり、
後者はプレイヤーに少なくとも何らかの選択権が残っているものになります。

ただ、真剣勝負であるかどうかは、
勝負をしている本人の問題でしかないと思います。

もちろん真剣だからこそ魅せることができる、
というのは間違っていないと思います。
ただ、ここでの手加減とは勝つ可能性を
最大化するためだけの手から外れることを指していて、
多かれ少なかれリスクを伴う”魅せ”は、
その定義上は手加減になってしまう、ということです。

あっ

ひいらさん、手加減って言ってた。
手加減と手抜きは意味が違う。
勘違い勘違い。

ほら、「手抜き」はやっぱり悪い意味ですから・・・。
「手抜き料理」「手抜き工事」「手抜きゲー」

キリヲ、サトルの場合。
その方法が良いか悪いかは別として、
「Bestを尽くして手加減した。」
目的:サトルにゲームで勝ってもらい、カードヒーローを好きになってもらいたい。
キリヲに悪意はない。
でもサトルは悪意ある「手抜き」をされたと思い憤慨。
といったところでしょうか。

ひいらさんの言う1,2,3のように、目的によって手加減することが、最善手ということは、多々あると思います。

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